入院してどのくらい経ったときだっただろう。
ある病室から聞こえてくる女の子の泣き声。
泣きながら漏れ聞こえてきた
「何で私だけがこんな目にあわなきゃいけないの・・・」
その言葉とともに、長い時間、泣いていたのがとても心に残っていた。
その後、病棟内で出くわす機会も多く、分かった事は
彼女はまだ高校生(2014年時点)だったということ。
毎日、お母さんが献身的に寄り添い、闘病する毎日。
楽しいはずだった高校生活が、一瞬で暗闇に変わってしまう。
奪われたのは、学校生活だけじゃない。
笑うこと、はしゃぐこと、夢を見ること。
彼女の喪失感が、他人事には思えなかった。
教室で友だちと笑い合うことも、体育の授業で汗を流すことも、文化祭や修学旅行といったイベントを楽しむことも…
そんな当たり前の高校生活が、ある日を境にぱったりと途切れてしまう。
どれだけ辛いことだろう。
病棟ですれ違う彼女の顔からは、時折、年相応のあどけなさがのぞくものの、
どこか大人びたような、達観したような表情を浮かべることがあった。
それはきっと、病気と向き合うことで、普通の高校生では経験しない「理不尽」と「恐怖」と「喪失感」を急激に受け止めなければならなかったからだと思う。
思春期を過ごす高校生活は、ある種、「自分が自分でいられる場所」でもある。
それがなくなってしまう。
同級生が教室で過ごす時間に、自分は白い天井を見上げている。
みんなが将来の夢を語るとき、自分は治療の副作用に耐えている。
そんな日々の積み重ねが、どれほど彼女の心に影を落としたかと思うと、胸が苦しくなる。
それでも、彼女は毎日病室で必死に治療と向き合っていた。
何度も病室で涙を流しながら、それでも一歩一歩前を向こうとしていた。
あのときの彼女の涙の意味を、私は今も忘れることができない。
「何で私だけが…」という叫びは、きっと多くの闘病者が一度は抱く、心の奥底の叫び。
それをあの年齢で経験し、立ち向かっていた彼女の姿は、今でも私の支えになっている。
彼女と直接話す機会は多くはなかったけれど、病棟内ですれ違うたびに、お互いに挨拶したり、お母さんとも挨拶したり、ほんのささやかなやりとりが、妙に温かく心に残っていた。
そして、時が流れた。
2024年2月の外来日。
待合室に座る人の中に、見覚えのある後ろ姿があった。
最初は確信が持てなかった。
闘病中は髪の毛が抜けるので帽子を被っていて、治療が終われば髪が生え、それだけでも印象がガラっと変わるからだ。
そっと視線を向けた瞬間、となりにいる女性を見てすぐにわかった。
彼女のお母さんだった。
一瞬、言葉に詰まりながらも、思わず声をかけた。
「覚えていらっしゃいますか…一緒の時期に闘病してた」
お母さんは、少し驚いた様子だったけれど、すぐに「あっ!」と表情が和らぎ、
「覚えていますよ。ブログでも発信してくださってましたよね」と笑ってくださった。
彼女は、あれから、見事に闘病を乗り越えていたのだ。
あのとき泣き続けていた彼女が、いま、生きていてくれる。
それだけで、何より嬉しかった。
「本当に、よかった」
心からそう言ったとき、自分でも気づかないうちに目頭が熱くなっていた。
あの頃、どこにも出口がないように思えた毎日を、一緒に生きていた仲間。
「もっと辛い思いをしている人がいる、だから前を向かないと」
そう思わされてくれたのは、彼女の存在も大きかった。
きっと今は、彼女が乗り越えてきた道は、多くの人にとって“生きる証”になっていると思う。
本当によかった。
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